2018年4月4日水曜日

タニト wikipedia記事翻訳 ついに完了!

やっと(今更)翻訳完了。
これが創作とかに活かされたら・・・いいなぁ(願望)



概要



タニトは古代カルタゴ及びフェニキアの女神であり、カルタゴの主女神であるとともにバアル・ハンモンの配偶神。彼女はベルベル人にも信仰されていた。


タニトはティント、タノウやタンゴウとも呼ばれる。
その名前の起源はカルタゴ(現在のチュニジア)に見られ、地域の神の名をいただいていない。
彼女は月の女神アスタルテと同等視され、後にはローマ属州カルタゴにてローマ化されダイアナカエレスティス、ユノカエレスティス或は簡潔にカイレスティスとして崇拝された。


今日のチュニジアアラブ人にとっては、習慣的に”オメクタンノウ”か”オウモウクタンゴウ”に関連付けられている。(タンノウかタンゴウかは地域による)、年を通して旱魃と雨をもたらす。同様に、チュニジア人や他の多くのアラブ言語圏の人々は灌漑されていない農業に関して、農業のバアルと言及している。

崇拝

タニトはマルタからガデスまでのギリシア文明を背景とした、地中海西部のカルタゴで信仰された。
紀元前15世紀前から、タニトの信仰はバアルハンモンと結びついていた。彼女はペネバアル(バアルの顔)とあだ名されると共に女性の長の称号を得た。北アフリカの、碑銘と資料の遺物はより豊富に、彼女が、配偶者であるバアル・ハンモンと同様、天の戦女神であり、処女の(結婚しない)地母神と看護師、また正確性には欠けるが、多産の象徴としてなどが最も女性の支持を得た。
ギリシャの女神の中には混合主義のInterpretatio graecaによってタニトと同一視される女神もいる、周辺の非ヘレニズム文化の多数の神々の中で異なる外観を持つギリシャ女神として理解されていた。


彼女の神殿は南フェニキアのSareptaで発掘され明らかにされた碑は彼女を初めは彼女の母国としっかりとした関連があるフェニキアの女神アスタルテ(イシュタルテ)と同一視していた。タニトの遺跡はチュニジアのボン岬半島のケルクアンで発掘されている。


子供の生贄



タニトの起源はウガリットのパンテオン、特に血と新鮮さの消費者であるアナトに見受けられる。(Hvidberg-Hansen 1982)
これは重要なことにもかかわらず論争され、証拠と考古学の古代に書かれた資料が、タニトのバアルハンモンの儀式に幼児の生贄が含まれていたことを示している。


考古学者の中には幼児供犠が行われていたと結論付けている。1970年代カルタゴの発掘を指揮したLawrence E. Stagerは、幼児供犠はそこで行われていたと信じている。ローマの国家研究評議会のPaolo Xellaはカルタゴの幼児供犠の原典、銘文および考古学的な証拠を要約した。
考古学的な証拠
"Tophet"は聖書に由来する言葉であり、ユダヤ教から離脱しカナンの偶像崇拝を実践し幼児供犠をしていたエルサレム近辺のカナン人及びユダヤ人に使用された。今は一般的に火葬された人間や動物の遺骸に用いられる。
「埋葬の場」はおそらく埋葬式の場に隣接していたにもかかわらず、旧約聖書はユダヤ人の人身御供を明示していない。フェニキア人自身が火葬や火葬式をどのように言及していたかは不明である。
"Tophet"について明白なのは、主要なものがカルタゴにあったこと、「サランボーのTophet」とあだ名され、1921年に発掘されたことだ。土の中のサランボーのTophetは、おそらく生贄の火葬用のオリーブの木炭の中から発見された。場所は女神タニトの神殿近くの埋葬地だった。動物は大部分は羊と山羊で、中にはタニトのつぼもあった、このことは亡くなった未成熟児を埋葬していたことを強く否定している。おそらく動物は子供たちの代りに神々に捧げられた(現存している碑文に動物を「代役」と記述しているものがある)。不運にも代役が十分でなかった子供は、同様にTophetで生贄にされ埋葬されたと推測されている。遺物にはとても幼い子供たちと小動物の胴体の骨があり、動物と同様に子供が生贄にされていたのか議論されている。カルタゴのTophetは恐らく牧草地で覆われ、紀元前4世紀半、九つの階の埋葬地があった。キリスト教初期の習慣が続く、紀元前400年から200年の間に約2万のつぼが置かれた。つぼは黒焦げの新生児の骨や時には胎児や2歳児の骨の場合もあった。これら両方の遺物は死産の赤子や両親によって捧げられた末子を意味すると解釈されている。


埋葬された出生前を含んだ子供たちの年代分析の個別な詳細はー未だに調査が続いている。その地点の埋葬遺物の年代分布は、生後まもなく自然死した子供たちと一致しているとも議論されている。Sergio Ribichiniは「子供の共同墓地は、死産や他の自然的要因で死んだ乳児の遺骸を受け入れるように設計されている。その理由は特定の女神に「捧げ」、普通の死人とは違う場所に埋葬するためだ。」と主張していた。「その女神の遺族への慈悲深い保護を確実にする努力として」と付け加えて述べている。しかしながら、この分析は議論中で、Patricia Smithとヘブライ大学・ハーバード大学の同僚たちは、歯と骨格の分析からカルタゴTophetの乳児死亡年齢(約2ヶ月)は予想された(分娩前後の)自然死の新生児ではない説明している。


他の慣習
カルタゴが陥落し長い時が過ぎても、タニトはなおユノカエレスティスというラテン名の元、北アフリカで崇拝された。彼女はローマの女神ユノと同一視された。北アフリカの古代ベルベル人は古代カルタゴ文化のタニトとしても認可していた。エジプトでは、彼女の名前はネイトの大地を意味する、ネイトは戦の女神である。彼女の象徴は、不等辺四辺形の上辺を水平線で閉じた上に中ぐらいの円を乗せたもので多くの古代石製彫刻に見受けられる:水平に伸ばした腕はしばしば直角の二本の短線かかぎ状の記号で閉じられる。後に、不等辺四辺形はしばしば二等辺三角形に置き換えられる。その象徴は彼女の手による女性の地位向上を表しているとHvidberg-Hansenは解釈している。Hvidberg-Hansen(セム語族文献学のデンマーク人教授)は、タニトは彼女の戦士の資質を表すためにライオンの頭で描かれることもあったと書き留めている。


中ごろには”Tanith”という名前で記され、女性名としても使われた。作家であるタニス・リーやモデルのタニス・フェニックスなどオカルトフィクションでより頻繁に用いられる。


文化的波及
ギュスターヴ・フロベールの歴史小説である「サランボー」(1862)においては、主役がタニトの巫女である。カルタゴに対して反乱を起こしたリビア人傭兵指導者であり、男性の主人公であるマトーは、女神の神殿に進入し、彼女の聖布を奪う。


ケイト・エリオットの霊能力者三部作においては、欧州多神教でも一般的に知られた女神の一柱で神秘的な美しさを持つとされるタニトが登場する。語り手であるキャサリンは、しばしば「神聖なタニト、女性の保護者」と懇願し、女神が姿を現す場合もある。


ギルバート・ケイス・チェスタートンはタニトを彼のフェニキア戦争に関する記述「神と悪魔の戦争」(彼の著作、「人間と永遠」の一章)にて記している。
イタリア侵攻のためにアルプスを越えるハンニバルの異国の軍隊の文化の違いを、チェスターストンは以下のように記す


モロクはラテンの山の上に居り、恐ろしい顔で平原を見渡している;バアルは石の足でブドウ園を踏みつけ;目に見えないタニトの声は、ヴェールを引きずらせながら、嫌悪感よりもむしろ恐ろしい愛の言葉をささやく。


マーガレット・アトウッドの「盲目の暗殺者」においてはカルタゴ人が埋葬された墓の碑文から以下が読み取れる。「私は泳いでいた、海は無限に続き、岸も見えない。/タニトは無慈悲に、私の祈りに答えた。/おお、あなたは愛に溺れ、私を忘れないで。」


ジョン・マドックス・ロバーツの歴史改変SF小説である「ハンニバルの子供たち」においては、カルタゴ人たちが第二次ポエニ戦争に勝利し、作中人物の一人であるザラベル姫は、タニト崇拝の指導者である。


アイザックアシモフの1956年のSFショートストーリー「死せる過去」においては、古代史教授の、アーノルド・ポッテリーは生贄にされたカルタゴの子供たちの解放と、過去の出来事を直接観察することができるクロノスコピイへのアクセス権をよ得ようと執心している。結果、過去のカルタゴ人へのポッテリーの執心は現代社会に広範囲な影響を与えることになる。


参考

→・・・タニトあんまり関係なくね?いや生贄を捧げさせてた発端ではあるが

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